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概要

作/さとうわきこ 絵/岩井田治行による日本の幼年向き創作絵本。出版元はポプラ社。
空に大きな興味を抱く子猫が、カメ、ブタ、キツネ、クマ、カバ、ゾウに助けてもらって、空をさわる夢を叶えるというファンタジー。
1986年8月にポプラ社から出版された。

『ぼく そらをさわってみたいんだ』は、ポプラ社の権利侵害(ポプラ社は2001年8月にすでに出版契約が終了していたこの絵本を2003年から2008年までの5年間、著者に印税を支払わずに無断で4回出版し続け利益を得ていた)により、著者の一人である岩井田治行から抗議を受け、2015年3月31日付で出版契約を終了、現在は絶版状態である。


出版までの経緯

『ぼく そらをさわってみたいんだ』は旧ポプラ社(須賀町5番地)で、『ばばばあちゃんシリーズ』の絵本で知られる絵本作家さとうわきこのオリジナル絵本として出版される予定だった。さとうわきこは童話作家として子どもの本の仕事を始め、後に絵も自分で描くことになるが、ほとんどの作品は作と絵を自分で担当しており、作のみで絵を他の画家に任せた作品は数点しかない。この絵本は、他の画家が絵を担当した1冊である。

さし絵を担当した岩井田治行が児童書の仕事をしたのは、1984年~1998年までの14年間だけである。この絵本は岩井田治行の絵本画家としてのデビュー作だが、ポプラ社の権利侵害により出版を続ける事ができなくなり、中古品以外は入手困難となっている。
岩井田治行は手塚治虫の児童マンガに強い影響を受け、子どもの頃からマンガ家を目指したが、漫画界にリアルな劇画表現が広く浸透し始めるにつれ、それまで日本の児童マンガが持っていた夢の広がりを感じなくなり、マンガ表現に興味を失った。もともとクラシックな欧米のおとぎ話や柔らかい絵柄を好む岩井田にとって、劇画というリアルな表現に変わりつつあった日本のマンガ界は魅力的な世界ではなくなっていた。

大学卒業後は印刷会社に勤務。数年で退職し、独学で好きな絵の勉強を始める。
広告のイラストレーターとしてそのキャリアをスタートさせた岩井田は、たまたま立ち寄った書店でレイモンド・ブリッグスの『さむがりやのサンタ』(福音館書店)を見て強い衝撃を受ける。そこには、マンガの面白さと絵本の楽しさが無理なく融合した夢のような世界があり、これが自分の仕事だと確信する。
ブリッグスの絵本との出会いが仕事の場を広告から児童書へ移すきっかけとなった。

子どもの本のイラストレーターとして身を立てる決心をした岩井田は、さっそく児童書出版社への作品売り込みを開始したが、どこも採用してくれなかった。売り込みを開始して数社目の旧ポプラ社で、岩井田のイラストが編集者の目に止まり、さし絵画家としてデビューすることになる。モノクロのカットと2色刷りの童話のさし絵を数作品こなした後、『フルカラーの絵本をやってみないか?』と言われ、編集者の引き出しに保管されていたさとうわきこ作絵による『ぼく そらをさわってみたいんだ(草稿)』の絵を担当することになる。この絵本の草稿は、さとうが自作絵本として出版するために描いたものだが、さとうは新人の岩井田にさし絵を担当させるという編集者の提案を受け入れた。こうして『ぼく そらをさわってみたいんだ』は、さとうわきこ/作 岩井田治行/絵で、1984年に制作がスタートした。ちなみに、さとうの草稿では主人公はヒヨコだったが編集者の提案で制作直前に子猫に変更された。


絵本の制作技法

この絵本は完成までに、かなりの紆余曲折があった。
岩井田治行は元々はマンガ家志望だったため、その作風はマンガタッチである。カットやさし絵の仕事もその作風でスタートしたが、当時の児童書業界では『絵』とは『絵画』であるという考えが根強くあり、マンガやイラスト、デザインを受け入れない閉鎖的な環境があった。
岩井田もこの壁に当たることになる。カットや童話のさし絵とは違い、担当の編集者がこの絵本に求めた絵は、まさに『絵画』であった。
さらに担当の編集者が油絵好みだったこともあり、岩井田の得意なマンガタッチの絵は却下される。岩井田は自分の得意な作風が否定されたことに納得できなかったが、これが絵本画家としてのデビュー作であるため、仕事を断ることができなかった。また新人のため、編集者と対等に話し合うことも出来ず、編集の指示に従い初稿のマンガ風イラストを捨て、この絵本のために新しい技法を作ることになった。そのため、岩井田が色鉛筆で絵本を描いたのはこれ1冊のみである。普通、作品制作ごとに技法を作ることは稀で、それをやらざるを得なかったのは、この時点では編集が力を持っていたからである。

その後も編集者は執拗にアクリル絵具を使用して『油絵風に描く』ことを強要したが、岩井田はあくまでドローイング(線描き)にこだわった。数種類の画材を検討した結果、重ね塗りが可能な画材として定評のあるイーグルカラー(色鉛筆)で描く事に決める。しかし、通常の白い紙を使用すると、描いた色鉛筆の隙間から紙の白地が浮き出て画面が落ち着かないため色紙を使うことにした。数十枚の様々な色紙を試し、薄いグレーの地色がついたコットン紙が最も色鉛筆と相性がいい(描きやすい)という結論を得るまでに約1ヶ月を要した。

この絵本は、すべて色鉛筆だけで描かれている。色鉛筆画は珍しくないが、問題は色鉛筆で編集の求める『油絵のような重量感』をどう出すかであった。色鉛筆をそのまま重ね塗りしても重量感を出すのは難しく、制作を始めてすぐに壁に当たることになる。解決策として思いついたのは、色鉛筆の油分を溶かしながら描くということだった。当時は色鉛筆の油分を溶かす溶液としてテレピン油を用いるのが普通で、岩井田もその技法に倣った。これは『油絵風に描く』という編集者の要求に応えるための苦肉の策であった。


絵本の制作手順

(1)薄いグレーのコットン紙に下描きをしたあと、色鉛筆で全体に色を置く。
   このとき、色鉛筆でほぼ完成に近い密度で細部まで細かく描き込む。

(2)テレピン油を浸した綿棒で、塗った色鉛筆の油分を溶かしながら全体に広げていく。
   これによって、油で溶けた色鉛筆が紙に浸透し、紙の地色はほとんど見えなくなる。

(3)その上から再度色鉛筆で細部を塗り込んで仕上げていく。

以上の3段階で制作された絵本は、通常の3倍の手間がかかるハードな作業となった。
出来上がった最初の2画面を編集者と原作者のさとうわきこに見てもらい了解を得て、ようやく制作がスタートしたが、当時の岩井田は、まだアルバイトで収入を得ていたため、絵本制作に使える時間は限られており、昼間絵を描き、夜に働くという生活を続けながら2年の歳月をかけてこの絵本を完成させた。こうして出版された絵本だが、大した評判にもならず、数回増刷されたあとは陽の目を見ずに終った。出版社も特にこの絵本に力を入れて宣伝することはなかった。


ポプラ社の権利侵害による出版停止及び契約終了までの経緯

その後、ほぼ絶版状態が続いていた1996年、兵庫県の通販会社フェリシモの復刊リクエストの一冊として『ぼく そらをさわってみたいんだ』が選ばれる。
この絵本は兵庫県西宮の絵本美術館の絵本原画展にも出品され、会場に用意された絵本を完売するほど人気があった。フェリシモの復刊リクエストと絵本原画展での評判により、ポプラ社はようやくこの絵本を本腰を入れて販売することになり、初版から10年後の1996年8月に6,000部が増刷された。さらに、1996年から1999年までに約8,000部が増刷され、2001年8月に出版を終了している。

2015年2月20日。ネット書店アマゾンに出品されていた『ぼく そらをさわってみたいんだ』の中古品リストから、2001年8月に出版契約を終了した後、2003年4月1日、2004年6月1日、2006年5月1日、2008年8月1日の4回に渡り、合計8,500部が無断で増刷、販売されていたことが判明した。

2015年3月9日。著者の一人岩井田はポプラ社に抗議。ポプラ社は出版契約終了後、著者への再版についての連絡をしないまま出版を続け、増刷分の印税も支払っていないこと(権利侵害)を認めた。

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2015年3月18日、31日の2日間、ポプラ社代表取締役社長、業務管理局長、児童書編集局長と岩井田との間で話し合いが行われた。
未払いによる無断使用に対するポプラ社の返答は、『契約終了から3年後、岩井田氏と話し合いをした編集部長が退職し、その後、この絵本の出版契約終了の件が引き継がれなかった』というものだが、『出版契約終了の件が引き継がれなかった』ということは、出版契約は終了していないという認識だったはずで、それならなぜ増刷の連絡及び印税の支払いが行われなかったのかについては、『当時この件に関わった社員は全員退職しているので詳しいことはわからない。』というのがポプラ社の返答である。
2003年から2008年までに印税未払いのまま4回も増刷された自社本の管理状況を社員が誰ひとり知らないことはあり得ないが、結局、誰がどういう経緯で無断使用の許可を出したのかは不明のままである。

岩井田は告訴を検討するが、個人で裁判を起こすことは負担が大きいため断念。
未払金と賠償金の支払いに加え、ポプラ社のホームページ上で、無断使用の件を読者に伝える謝罪文を掲載することで示談に応じることになった。


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絵本の現在

『ぼく そらをさわってみたいんだ』は、上記の経緯を経て、2015年3月31日、再度契約終了確認書を取り交わし完全に終了した。
この絵本はすでに2001年8月15日に契約終了しているため、現在、ネット書店などに残存する2003年から2006年までの版は著者に無断で増刷、販売されたもので、読者は権利侵害による違法な書物を買わされたことになる。ただ、無断で販売されたこの絵本の中古品の販売については出版前に戻すことは出来ないため、中古品の購入は違法ではない。
その後、ポプラ社はこの絵本の製造および販売を終了、在庫を破棄し、市場で販売されている絵本の販売停止および回収の手続きをとった。
こうして、絵本『ぼく そらをさわってみたいんだ』は、初版(1986年8月)から現在(2018年)までの32年間、正当に評価されることなく市場から姿を消すことになった。
現在、岩井田は出版の仕事を離れ、『くまのマーくん』名義で、無料マンガ投稿サイト『マンガハック』にオリジナルマンガを描いている。

  • 最終更新:2018-05-13 00:07:48

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